現在、ほとんどの大学が、インターネット上に公式のホームページをもっています。入試に関する情報も充実しており、最新の入試情報が、こうしたネットワークからも獲得することが可能になりました。自宅や高校にパソコンがあり、インターネットにつなげる環境であれば、居ながらにして入試の最新情報を手に入れることができます。たとえば、東京大学の情報を得たければ、そのURL(ホームページへの電話番号のようなもの)を打ち込み、そのホームページを呼び出します。沿革、研究情報をはじめ、そこには、さまざまな情報が満載です。しかし、そうした環境が身近に整っていないばあい、また、志望校のURLがわからないばあいは、どうしたらいいでしょうか。そんなとき、頼りになるのが、生徒が使えるインターネット用パソコンを設置してある予備校・塾です。志望大学のURLがわからなくても、五十音や都道府県で検索できるリンク集などを独自につくっています。だから、パソコン音痴の人も、簡単に大学のホームページを見ることができます。
テストで平均点ということは、かなりわからないところがあると思って間違いないから、安心してはいけない。ちょっと気を抜けば、すぐ遅れ気味になってしまうであろう。特にここ十年近くの間に、中学生の学力が全体的に低下してきているように思える。5段階で3レベルの中学生には、最初から教科書の内容を説明しないと理解できないケースが多くなってきた―塾で子どもを教えている講師から、こういう報告が多くなった。学校で一度習ったから理解していると思って塾の授業をすると、半数以上の中学生がついてこられないというのが現実である。さらに、2とか1をもらってきたら、これはかなり重症と考えてよいから、何らかの手を打ってほしい。その場合、学習塾か家庭教師か、迷う方もおられるかもしれないが、最初は家庭教師より費用の安い学習塾にするのがよいだろう。
文科省が教育現場に求めている創造性の定義付けは、「欧米や古代中国における創造性や独自性を取り入れよ」との意向を強く感じます。確かに米国人は創造的、独創的な発想をする国民性があり、ユニークなプレゼンテーションは得意です。歴史や国策、個人の生き方を見ても、米国人の長所はたくさんありますが、反面、独創的に人生を考えるため、自己中心的な生き方に走り勝ちです。それが過ぎると、誠実に相手のことを考えず、コロコロと約束やポリシーを変え、お互いにとっていい道をじっくり考え、継続して約束やポリシーを貫く姿勢に欠けます。危惧に過ぎなければよいが、文科省の言い分(見解)を鵜呑みにすれば、教育を通して、日本古来の国民性を変えようとしているのか。それとも、全国民は、欧米人のような「創造的な生き方」を行え、と言っているに等しい−−との解釈になるのではないだろうか。日本人の長所は、チームワークや団結力や実直で勤勉に努力して、誠実に学び続ける国民性。経済が少し駄目になったからといって、他国と比較し、追随しても物事の解決にはなりません。極言すれば、洋の東西を問わず、個々の能力にかかわる創造性は、教育うんぬんの問題ではなく、まして政府(文科省)が介入する筋合いのものではない、と思います。創造性というのは、教育の第一義になるのかどうか、改めて問いただすべきだ、との考えを強くしております。